あれは10月のある日。
「長野県麻績(おみ)村の協力隊がしょうゆづくりをしている!」と聞きつけました。
道志村でしょうゆづくりをやろうとしている私にとっては興奮するような情報でした!
早速、麻績村地域おこし協力隊のホームページを拝見すると、かつて使われていたというしょうゆづくりの道具の数々が紹介されていました。
そして記事を読み進めていくと「地区の方々と来春にしょうゆを仕込む」との記述が!!!
これはぜひとも麻績村のしょうゆづくりについて聞きたい!体験したい!
そんな私の勝手なお願いを聞き入れていただき、今回の麻績村訪問が実現しました!!
【麻績村ポータルサイト おみも】
http://www.omimo.info/chiikiokoshi/cat3/post_5/ [醤油づくりを訪ねて]
http://www.omimo.info/chiikiokoshi/cat1/post_14/ [醤油プロジェクト始動!]
とっても興味深い記事です!!!
11/23,24と麻績村を訪問して見聞きし、体験したあれこれをご紹介します!
道志村から約200キロ。
長野市と松本市の中間あたりに麻績村はあります。
JR線と長野自動車道が通り、とてもアクセスしやすいところです。
山々に囲まれ、北アルプスが見守ってくれているような印象を持ちました!
1日目(23日)は麻績村の矢倉地区にて、しょうゆを仕込むために栽培された大豆の脱穀作業をするとのこと。
しょうゆづくりを知る村の方々との作業ということで、お手伝いと聞き取りをさせていただきました。
脱穀のやり方は簡単。
乾燥させた大豆の株を打ち付けて莢を割るだけです。
この日は麻績村の協力隊の方々4人との作業です。
大豆はかなり乾燥していたので、おもしろいようにこぼれ落ちていきます。
和気あいあいとお話ししながらも、夢中になると大豆を叩く音だけが響きます。
脱穀を終えた状態がこちら!
葉っぱや枝のかけらのゴミと大豆が混ざっています。
これから唐箕(とうみ)という機械で大豆とゴミを分けていきます。
まずは脱穀したものをすくって・・・
唐箕に入れていきます。
そしてハンドルを回していくと・・・
ゴミと分けられた大豆がどんどん出てきます!
ご存知の方も多いかと思いますが、唐箕は風の力を使ってゴミを分ける機械です。
ハンドルを回すことで機械内のプロペラが回り、葉っぱや枝のかけらのような軽いゴミは吹き飛ばされます。
重さのある大豆粒はプロペラの風を通り過ぎ、きれいになって落ちてくるという仕組みです。
よく郷土資料館などで、昔使われていた木製の唐箕を見ることがあります。
それくらい便利で使われ続けられてきた機械です!
このあとなんと休憩にお茶を出していただきました!
長野といえば野沢菜の漬け物!絶品でした!
ほかにも白菜の漬け物、カボチャの煮物、ひたし豆、あんこ餅などなど本当においしいものばかりでした。
思わずたくさんごちそうになってしまいました(笑)
お茶の間、麻績村でおこなわれていたしょうゆづくりについてお聞きしました。
やはり麻績村でもしょうゆにまつわる思い出話がたくさんありました。
『香ばしい小麦の匂いと煮豆の匂いが漂うようになるとしょうゆづくりの季節を感じる』
風物詩といえるほどに、昔は地域で当たり前におこなわれていた行事でした。
また道志村のしょうゆづくりと異なる点も知ることができました。
なかでも興味深かったのは、「搾ったしょうゆを煮立てない」ということでした。
道志村では保存を利かせるためにしょうゆを煮立て、出てくる泡を使った「泡漬け」をつくります。
このしょうゆづくりの副産物である泡漬けが道志村の思い出の味となっています。
しかし、麻績村ではしょうゆを煮立てる直前までしか火入れをしないと聞きました。
それでも搾りたてのしょうゆでつくる「たまり漬け」が麻績村にはあり、漬け物をつくるという点では共通点もありました。
離れた地域での共通点・相違点にとてもわくわくしました!
その後、麻績村の協力隊のホームページで紹介されていたしょうゆづくりの施設を見学させていただきました!!
念願叶った瞬間です!
一見、古いおうちのようですが、入ってみると驚きと感動の連続でした。
こちらはしょうゆを搾る際に使われた型枠です。
枠のなかは「もろみ」を入れたろ布(布袋)を並べて、ジャッキを使って搾っていたといいます。
道志村でいうところの「しょうゆ搾り機」の役目があったそうです。
「ほうろく」と呼ばれる鉄の大きなフライパンのようなものです。
これはしょうゆの原料である麦を炒るためのものです。
麦を炒るのは女衆の仕事でした。
「ほうろく」用の土でつくったかまどです!
石を積み重ね、その上は藁を練り込んだ土で整形されています。
「ほうろく」を乗せてみます。
鉄で重いほうろくですが、かまどはしっかりと重さを支えています。
しょうゆづくりがおこなわれていたころは、1月下旬になるとこのかまどの補修をしていたそうです。
麦を炒る際はこのハケのようなもので麦を転がします。
藁でできた手製の道具です。
こちらは大豆を煮るための大きな釜です。
大豆を煮る仕事は男衆の仕事でした。
麦を炒る仕事、大豆を煮る仕事とも真冬でも汗だくになる作業だそうです。
上の写真の釜はこのかまどで使われます。
素朴だけど何年も使い続けられたかまどです。
下の2枚の写真は「糀室」の様子です。
腰を曲げて入るほどの狭い入り口ですが、なかは広くなっていました。
写真中央の窓は通気させるためのものです。
天井部分にも同じものがありました。
この糀室のなかで炭をおこし、室を温めます。
温度が上がり過ぎてしまうときなどは、窓を開け閉めして調整するのだと伺いました。
別の部屋には「籾摺り機」「精米機」「製粉機」が置かれていました!
今や郷土資料館に展示できるほどの貴重な機械でした。
地区のみなさんの大切な共有物です。
古いものの良さというか、なんだか趣があります。
これらの機械と人が物語る歴史はとても興味深いものでした。
現代の機械の方が便利であることは承知していますが、できることなら使ってみたい!
こうして日が暮れていきました。
来年2月あたりにここでしょうゆを仕込むというので、また訪れたいと思います!!
発見がたくさんあった1日でした(*´∇`*)
地域のみなさま、麻績村の協力隊のみなさま、どうもありがとうございました!!!
内容が盛りだくさんなので、2日目(24日)の様子はまた次回ご紹介します!
2日目も麻績村を楽しんできました!さらに麻績村の隣村の筑北村へも行って・・・!!
次回もお楽しみに!
文:なかじま[農作業のときのお茶ってなんであんなにおいしいのでしょうか・・・(´∀`)]
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