私なかじまは、6月の記事にあるように「道志村でしょうゆづくりをしたい!」と考えています。
今回は、「なぜしょうゆづくりをしたいのか?」「道志村としょうゆの関係は?」など、私がしょうゆづくりに興味を持つまでをご紹介したいと思います!
(長くなりますのでご了承ください 笑)
■大豆栽培に挑戦!〜初めてだらけの農作業〜
私は大学に在学中、仲間の数人で「大豆栽培を通して地域の食や農を学びたい!」という想いのもと活動をはじめました。
主な活動は、大豆栽培を体験的に取り組み、味噌など幅広い大豆加工品づくりに挑戦することでした。
大豆に焦点を置いた理由は、国内の大豆自給率が6%(総需要)ととても低いこと、大学のある地域で「固有種」というような大豆がつくられていたことによります。
(大豆自給率は平成20年時の農水省の概算を参考にしました。)
当初、なにせこれまで農作業を全く知らないメンバーでしたので、いろいろと試行錯誤しました。
そんななか縁あって、地域の農家の方にご指導をいただくことができました。
それまでは「買う」が当たり前であった作物を自身で育てる。シンプルながらもとても奥深い作業です。
農作業をはじめるまでは悪いイメージばかりであった農薬ですが、農薬を散布した株は見事なほどに虫食いなく成長したことにはとても関心しました。
雑草と闘い、大豆の成長に驚き、開花に感動し、収穫の秋が待ちきれなくなり・・・
それまでの生活にはない刺激があふれていました。
振り返ってみると、2010年〜2012年の間、3回に渡って大豆栽培に取り組みました。
写真:在学時、不器用ながらも畑仕事に取り組みました!
■自給した大豆で味噌づくり!
3回の大豆栽培のうち、初年度以降の2回は豊作でした。
もちろん農家さんからいえば微々たる収量でしょうが、100kg弱の大豆が収穫できました。
今度は栽培の次のステップ、加工へ挑戦しました!
大豆はよく知られているように加工品の種類がとても多いです。
また同時に私たちの生活にはかかせない食品でもあります。
私たちは、自給した大豆で身近な調味料「味噌」をつくることにしました。
味噌づくりの講師は地域のお母さん方にお願いしました。
おうちによって、大豆、麹、塩の量や種類が異なり、文字通りの手前味噌がつくれるのが魅力的でした。
年によって、一般的な白大豆や青大豆、その2つのブレンドの味噌をつくりました。
同じ分量、方法でつくっても味が異なるという発酵の奥深さがありました。
活動をはじめた当初、栽培した大豆で味噌をつくるなんてことは夢のようだったので、喜びはひとしおでした。
写真上:味噌づくりの最初の工程、大豆を煮ている様子
■味噌づくりからしょうゆづくりへ〜道志村とご縁〜
味噌づくりを実現したところで、欲が出てきて「しょうゆもつくりたい」と思いはじめました。
味噌を寝かしている最中ににじみ出てくる上澄みの水分がしょうゆの原型である、と知ったこともしょうゆへ思いを馳せるきっかけとなりました。
早速しょうゆづくりへの情報収集をはじめました。
するとわかったことは、自家製の味噌をつくるおうちはあれど、個人でしょうゆをつくっているところはないということでした。
その当時の私の視野ではそれ以上広く聞き調べることはできず、半ばあきらめていました。
そんななか聞きつけたのは「道志村なら昔から各家庭でしょうゆをつくっている」との情報でした!
しかし、そのときはすでに大学生活も後半にさしかかり、在学中のしょうゆづくりの実現は難しい状況でした・・・。
数ヶ月が過ぎ、現在の「道志村地域おこし協力隊」の存在を知りました。
道志村の環境、それまで住んだことのない「むら」という地域。それだけでとても興味が惹かれました。
このとき「道志村ならしょうゆをつくっている」という話が一気によみがえりました!
大学での活動の延長にあった小さな興味が動き出す予感がしました。
写真:道志村といえば、清流「道志川」!透き通っています!
この水が横浜市の水道水になります。
■道志村としょうゆ〜そんなに言うなら食べてみたい!〜
ご縁あって道志村を訪れ、早速しょうゆづくりについて聞いてみました。
そうすると、
・今しょうゆづくりはほとんどおこなわれていない
・しょうゆ搾りの職人さんが亡くなってしまった
・しょうゆ搾りの機械が老朽化している
・昔は時期になれば村のあちこちでしょうゆの香りが漂っていた
・しょうゆ搾りの副産物である「泡漬け」は絶品である
・こどものころはキュウリを「もろみ」につけて食べるのが楽しみだった
(しょうゆの素の状態を「もろみ」という。)
(しょうゆは「もろみ」を搾ることでできあがる)
などなど、しょうゆにまつわる話たくさん出てきました!
そこで感じたのが、道志村においてはしょうゆづくりは文化であるということです。
村での生活に結びつき、原風景を思わせるしょうゆづくりは絶やしてはいけない!と強く思いました。
しょうゆに関するお話を聞くと、多くの方が「おいしかった」「また食べたい」といったことを口にしていました。
単純な興味からしょうゆを探っていきましたが、私自身「そんなに言うなら食べてみたい!」と思うようになりました(笑)
そもそもなぜ道志村でしょうゆづくりがおこなわれてきたのかは、まだはっきりと確かなことが把握できていません・・・。これからがんばります!!
ただよく聞かれる話のなかに、「道志村の昔は今よりも寒さが厳しく、米をつくることができなかった。そのため主要な作物は麦や大豆のような穀物であった。」ということがあります。
また自給自足が基本であった昔は、味噌はもちろん、しょうゆも自家製するのは自然な流れだったのでは?と思っています。
しょうゆの原料は大豆と麦、麹、塩なので、原料の多くは自給できていたはずです。
下の写真は6月下旬に村内でしょうゆを搾るおうちがあったので、見学に行ったときの様子です!!
写真①:道志村のあった2年寝かせた「もろみ」です
写真②:重しをかけて「もろみ」からしょうゆを搾ります!
写真上部の木製の箱はしょうゆ搾り器です
写真③:搾ったしょうゆを煮ます。
辺りには香ばしいしょうゆの匂いが漂います。
■現在とこれから
現在は原料の大豆の生産に体験的に取り組んでいます。
また同時にしょうゆづくりのノウハウ等を聞き取りし、自身がしょうゆづくりを一貫しておこなえるようになるのが理想です。
当然ながらまだまだ課題ばかりです。
それでも、消えかかったしょうゆづくりの文化を再興できるよう精進していきます!!
何か他の地方でのしょうゆづくりのお話などあれば教えていただきたく思います。
写真:試験的に大豆を栽培しています!
最近やっと開花しました!
長くなりましたが、しょうゆに興味を持つまでの経緯をご紹介しました!
読んでいただきありがとうございます!!
文:なかじま(しょうゆ、しょうゆと言い過ぎて村の方に「あぁ〜しょうゆの子」と認知していただいてます 笑)
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